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病院概要

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院長就任の御挨拶

写真 院長 繁田 正信

呉医療センターに通院、入院加療されている患者さん、当院職員及び関係者の皆様、この度、独立行政法人国立病院機構呉医療センターの院長を拝命しました、繁田正信と申します。
この場を借りて、皆様に一言御挨拶を申し上げます。

 私は、呉市出身で、辰川小学校(現在は廃校)、片山中学校、呉宮原高等学校を経て、昭和56年に広島大学医学部に入学致しました。呉は、まさに私の故郷であり、中でも呉医療センターは、高校時代の通学路に位置し、毎日の様に見てきた病院であります。幼少の頃、受診したこともあり、当時は下駄箱で靴を脱いで、病院のスリッパに履き替えていた事が懐かしく思い出されます。その後、泌尿器科医師になり、広島大学病院、県立広島病院他、いくつかの病院で研鑽を積み、平成18年(2006年)6月に泌尿器科科長として当院に赴任いたしました。呉医療センターへの赴任が決まるまでは、まさか自分の故郷、しかも高校時代の通学路にあった病院に勤める事になるとは考えた事もなく、驚きと共に、故郷である呉のために尽くしなさい、との神の啓示を受けた様な気が致しました。それから約18年の時を経て、この度、院長を拝命することとなりました。

 呉医療センターは、昔から呉に住んでおられる方は良くご存知と思いますが、非常に歴史と伝統のある病院で、明治22年、1889年に呉鎮守府附属呉海軍病院として開院しました。大東亜戦争終結後、イギリス、オーストラリア軍に接収されておりましたが、昭和31年、1956年に国立呉病院として再開し、昭和40年、1965年に中国がんセンターを併設、平成16年、2004年に独立行政法人国立病院機構 呉医療センターと名前を変えて今日に至っております。呉海軍病院時代から数えて135年の、長い歴史のある病院であります。現在、呉医療センターはベッド数700床、1日の外来患者数924人、年間入院患者総数は約12000人、職員数1,250人(医師176人、看護師622人)で、県内では広島市民病院、広島大学病院、県立広島病院に次ぐ4番目の大規模な病院として、広島県、特に呉市及びその周辺の地域の医療を支えております。

 新型コロナウイルス感染症は、令和5年5月に5類に移行して、インフルエンザと同様の扱いとなり、以前のような厳重な検査、隔離は必要なくなりましたが、依然として感染は治まってはおりません。現在は、3A病棟、7B病棟にそれぞれ3床ずつ、新型コロナ感染症患者用の部屋を確保しておりますが、それ以上の感染者が発生した場合には、一般病床を利用して運用しています。同室者から陽性者が発生した場合には、陽性者以外の方は、感染が否定されるまでは半隔離状態となり、不自由をお掛けしますが、他者への感染防止のため、ご協力いただきますよう、ご理解の程、宜しくお願いいたします。

 令和6年4月から、いよいよ医師の働き方改革が始まります。日本の医療は、医師の長時間労働によって支えられていた面が多々ありましたが、そのために過去、医師が心身に障害を受けたりする事例が発生し、これを防ぐために、長時間労働を一定時間内に制限するものです。私が医師になった頃は、若い医師は休みを取る事は罪であり、常に患者のために働く事が当然と言われ、実際に行われておりました。しかし、時代の流れとともに、少子高齢化が進み、働き手の数が年々減少している現代において、医師(労働者)の健康を守る必要が生じて来たのだと思います。より高度に複雑化する医療現場において、徹夜の当直や手術、処置等の後に、疲労が蓄積している状況下で、間違いを犯す事なく医療を継続することを求めるのは難しいのです。そのため、長時間労働の制限や、今まで医師のみが許可されていた様々な業務を、他の業種の方でも可能に出来るなど、業務の分散化も進められています。今の医療水準を落とす事なく、これらの改革を確実に進めていきたいと思っております。

 今後の呉の医療、さらには日本の医療を支えるためには、患者さんを含めた多くの職種の方々の協力と理解が必要です。私はまだまだ未熟者で、十分な知識も持ち合わせず、誤った判断をすることもあろうかと思います。皆様のご指摘、諫言を真摯に受け止め、正しい方向に少しでも向かう事が出来れば、と固く決意しております。何卒宜しくお願い申し上げます。以上をもちまして就任の御挨拶とさせていただきます。

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